HOME

 

書評

稲葉振一郎著『リベラリズムの存在証明』紀伊国屋書店1999(\4,200)

『図書新聞』1999.9.25.

評者 橋本努 はしもと・つとむ(北海道大学経済学部助教授、経済思想・社会哲学)

 

 

 『ナウシカ解読』で注目を集めた気鋭の社会哲学者稲葉振一郎氏の近著は、リベラリズムの根底を独自の仕方で擁護するという理論的な挑戦作である。その挑戦度・野心度において本書は、井上達夫著『他者への自由』(創文社)につづくものであり、リベラリズムの問題を深く掘り下げたものとして、大いに注目されるべきであろう。

 著者によれば、本書は当初、「当たり前のことを分かりやすく整理した教科書」程度のものを目指していたという。しかし最終的には、氏のリベラリズムに対するコミットメントを前面に出すことになり、これが教科書的な部分と織り交ざる仕立てになっている。何も教科書的な部分が凡庸だというわけではない。最近の知的動向が逸早く摂取され、的確な評価が下される。読者はそこに、強度の批判的思考を見て取ることができるだろう。しかし以下では、リベラリズムに関して重要と思われる二つの論点に絞って評してみたい。一つは著者独自の立場についてであり、もう一つはリベラリズムの限界をめぐる議論についてである。

 私なりに表現すると、氏の立場は「リベラルなリベラリズム」と呼ぶことができる。ここで「リベラリズム」とは、国家に対して「公正としての正義」を求める立場のことであり、「リベラルな」立場とは、正義が適用されない非公式な、愛やアイデンティティや尊厳の領域において、他者を無視したり排除するのではなく、「洗練された無関心」をもって個人を遇することである。例えば「雇用機会の平等」という理念は、公式的な制度レベルにおいて「公正としての正義」を求めるものであり、リベラリズムの要求である。これに対して「職務に対する正当な評価」や「労働時間の短縮」という理念は、そうした公正としての正義が適用されない「非公式な制度レベル」において「人格の尊厳」を求めるものであり、「リベラルな」要求である。一般に狭義のリベラリズムは前者のみを主張するが、しかし稲葉氏は、後者の問題が国家に関する「広義の正義」問題に含まれるとして、これを人格の理念によって基礎づけ、強制的再分配を含んだ「最小『福祉』国家」を正当化しようと企てる。氏の関心はまさに、「福祉」を組み込んだリベラルなリベラリズムを擁護することに置かれている。

 では、公正としての正義が適用されない領域において、なぜ人格の尊厳が重要となるのか。またその単位はなぜ個人なのか。氏はこの問題を、永井均の独我論やノージックの最小国家論を批判的に検討しながら論じている。個人は、たんに「心」をもった主体ではなく、そこに「魂」を承認しうる点で、いかなる集合体とも区別される尊厳をもつ。しかし他方では、誰しも他人の「魂」には決して到達し得ないのであり、そこに「私秘性」を認めざるを得ない。魂は、社会的コミュニケーションを通じて承認されなければならないが、しかしそれ自体としては、私秘的固有性をもつものとして尊重されなければならない。氏はこのような倫理観を、さらに「実存的ユートピア主義」という立場によって原理化する。すなわち、個人というものはこの世に生まれ落ちたことによって、すでに喜ばしい存在であり、その魂は絶対不可侵なものとして擁護されなければならないという理由から、個人の人格的尊厳は基底的な道徳的要求になるというのである。

 こうした個人擁護論は、なるほどわれわれの常識的な直観を練り上げたという点では説得的である。しかし直観を疑う批判的検討に耐えうるかといえば、そうではない。氏は「魂」というものが、一個人に一つだけあり、それが死ぬまで不変であると想定しているようである。だが例えば、モノへの入魂、一個人における魂の根源的変容体験、魂の人格内複数性、集合体(血筋)への魂の帰属、魂の乗り移り、といった文化現象をどのように考えればいいのか。魂の同一性に基づく個人擁護論は、このような霊的現象を度外視することによってはじめて基底的なものとみなしうるが、しかしこれではあまりに平板な根拠論といえないだろうか。「魂」概念に関する批判的検討が待たれる所以である。

 もう一つの論点は、本書後半に展開される「リベラリズムの限界」論である。ここでは三つの限界が検討されている。第一に、多数派の弱者が国家を利用して、少数派の強者から収奪を企てるというルサンチマンの問題。第二に、個人の寿命の有限性から生じる規範不服従の合理性という問題。第三に、理性の麻痺をもたらす全体主義的無思考性の問題である。しかしいずれの問題も、リベラリズムの限界というよりは、多くの政治政体に関わる論点である以上、リベラリズムに固有の難点というわけではない。ただし第二の論点は、著者のいう「リベラルな刑事政策」に関わる点で興味深い。氏の主張するリベラルな権利本位道徳は、ノージックと異なり、潜在的犯罪者の犯罪行為への動機を削ぐために、犯罪予防策を奨励する。しかしこの考え方は、かえって温情主義的な政策を容認することになり、個人の人格的自律を弱めることにならないか。いずれにせよ本書は、権利の基底性を独自の観点から擁護した本格的な思想書であり、知的刺激に満ちているという点を最後に強調しておこう。多くの読者による吟味を期待したい。